まだまだある 学ぶこと

今週のお題「会いたい人」


 私が初めて先生と会ってから5年が経とうとしている。先生は、両親以外では私の人生に最も大きな影響を与えた人物だといえる。なぜなら、今自分の考えていることや行動規範、価値観などを整理すると、先生の教えや姿勢に基づいていると感じる要素が非常に多いからだ。


 2015年、大学2年になりたての私の目の前で、先生は授業をおこなっていた。その授業はいわゆるオムニバス形式で、学部の先生が毎回入れ替わり立ち替わり自らの専門分野について講義するという内容だった。しかし、そこでの先生は取り立てて印象に残るような存在ではなかった。強いていうなら、隣に座っていた私の友人が先生を評して「なかなかの美人だよね」と呟いたことだけが頭に残っている。後ろの方に座り、お世辞にも熱心に授業を聞いていたとは言えない私にとって、先生は多くいる講師の中の一人、ワンオブゼムにすぎなかった。


 それから半年後、3,4年次に所属するゼミの入室試験が行われた。私たちはお互いの机と机を隔てた距離で再び向かい合うことになった。先生の専門分野もバックグラウンドも知らない私がなぜこのゼミを希望したのか。自分でもよく分からないまま話だけが進んでいった。「将来は世界を股にかける記者として働きたい」などと発言したときの先生の呆れ顔が、今となっては懐かしい。


 入るまでには一悶着あったものの、ゼミでの先生は私の犯した失敗やそれによってかけた迷惑にも文句一つ言わず徹底的に付き合ってくれた。それを表すエピソードは語り尽くせないほどあるが、大学4年生の秋、ゼミの時間が終わったあと、キャンパス近くのサイゼリヤでゼミのあり方について激論を交わしたのは特に思い出深い。先生の強い思いが故、3時間以上も店に居座ることになり、店にとってはさぞ厄介な客だっただろうが


 春になり大学を卒業した後も、先生とは定期的に手紙やメールなどをやりとりしていた。そんなある時、先生と直接会える機会があった。寒い冬の日だった。仕事がうまく運ばず、前も後ろも進めない私は先生に相談を持ちかけた。年の瀬で忙しいはずなのに、先生は嫌な顔一つせず場所と日時を指定してきた。悩みを打ち明ける私を、先生はこんな言葉で励ましてくれた。「失敗しても大したことはない。もっと気楽に考えたら」当たり前のことなのを言われただけなのに、ふっと心が軽くなった気がした。喫茶店の茶色いテーブルを挟んで向かい合うその顔はいつかの呆れ顔ではなく、優しい笑顔だった。

行かなくちゃ君に会いに行かなくちゃ


四国に降り立って最初に感じたのは、水滴、だった。空から降る水滴、そう、雨である。乗り換え駅の岡山に着いたときから嫌な予感はしていた。上を見上げれば真っ黒な厚い雲。新幹線の窓には雨粒がついていた。日本一晴天の多いという岡山県出身の知人が「たしかに岡山はあまり雨が降らない」と言っていたのだが


大学時代の友人が高松駅のロータリーで待っているというので、駅を出てそこまで走る。そういえば、大学3年の夏に彼とヒッチハイクで京都に行った時も、途中でもの凄い雨に降られたなと思い出した。


彼とは大学のゼミが同じだった。当時からなんの縁なのか、ペアワークなどで一緒に作業をすることが多かった。2人とも横浜ベイスターズのファンだし、ポケモンの話をすると止まらないし、AKBが好きだったりと、共通点も多い間柄だった。


ロータリーに着くと、白のプリウスが私を出迎えた。彼はレンタカーを手配してくれていたのである。私は悪いなと思いつつもそれに乗り込んだ。仕事でいつも長時間クルマを運転しているので、助手席に座るのはなんだか妙な感じだ。


そもそも、私が四国を訪れたのは、うどんを食い倒れてみたいというささやかな、しかし抗いがたい欲望からだった。もともと読書、とりわけ旅行記が好きな私は、村上春樹の「辺境・近境」という本を読み、そこで香川県の魅力に取り憑かれた。本の中では、香川県内のあちこちのうどんが、いかにも食欲をそそるような表現で描写されていた。そういえばと思って自分の24年と少しの人生を振り返ると、四国地方には足を踏み入れたことがないと気づいた。カレンダーをめくり、次の3連休を探して、矢印を引っ張り、その上にこう記した。「香川旅行」。


その欲望はすぐに叶えられた。慣れない助手席に戸惑いつつ、高松駅から20分ほどクルマを走らせると、「一福」という赤い看板が見えてきた。このうどん屋に入ってまず驚いたのは、客の多さである。30人ぐらいは入れそうな店内は、まだ10時半という時間にもかかわらず、半分以上の席が埋まっていた。家族連れの姿もある。繰り返すが、時刻は10時半である。朝食というには少し遅いし、かと言って昼食にはまだ早い。そんな微妙なタイミングでこんなに多くの人がうどんを食べているのである。


カウンターで受け取った冷やかけうどんを口に入れると、次の驚きに襲われた。とんでもなく美味いのである。まるで肉厚なステーキを噛んでいるかのようなコシ、鰹のだしが存分に感じられるつゆ。それらに花を添えるのは、友人に勧められてトッピングしたゆで卵の揚げ物である。これら3つが絶妙なハーモニーを奏でていた。麺をすすればすするほど、胃袋が幸福で満たされていくのが感じられるようだった。


次に向かったのは、坂出市にある「日の出製麺所」である。「製麺所」という名の通り、ここはもともと麺を作る工場があるだけだったという。ところがこの麺を店頭で食べさせてほしいという声に押され、毎日1時間だけ営業しているという幻の店なのである。


店に入ると、飲食スペースの倍の面積はあろうかという大きな製麺機が目に飛び込んできた。なるほど製麺所の名は伊達ではない。あくまでメインは製麺なのである。それを最も体現していたのがつゆだ。運ばれてくるどんぶりには自慢の麺が入っているだけ。つゆは、テーブルに置かれたどこの家庭にもあるようなポットから直接注ぐ方式である。さらに、テーブルの上にはポットの他に、ネギとハサミが置いてあった。そう、ハサミを使って、ネギをその場で輪切りにしてうどんに添えるのである。満員の店内で、老若男女がネギをちょきちょきと切っている姿はなかなかにシュールだった。


うどんを2杯平らげて満足した私たちは再びプリウスに乗って走り始めた。これから桂浜に行くよと言われたが、それは何県にあって、どれぐらいかかるのか、皆目見当もつかない。


四国地方の地図を頭に思い浮かべてもらえればすぐに分かるが、今いる香川県から高知県に位置する桂浜に行くには、徳島県を通る必要がある。この徳島県にある祖谷渓に立ち寄ったのは素晴らしい経験だった。ここはまさに秘境で、底が透き通って見えるほどキレイな川が、鬱蒼と茂った森を縫うように流れている。千葉県にある亀岩の洞窟に行った時にも同じような状況に陥ったのだが、秘境を目の当たりにすると、他の人にこの場所を紹介したい気持ちと、あまり有名になりすぎて人々がたくさん訪れるようになって欲しくない気持ちとが、私の中で激しくせめぎ合うことになる。


祖谷渓をあとにした頃からだろうか、それまで降っていた雨が止み、雲の間から日差しが降り注ぎ始めた。もうワイパーを回す必要はなくなった。そして、桂浜に到着する頃には、空は完全に晴れ渡っていた。砂浜を濡らす荒れ狂った波だけが、今まで天気が荒れ模様だったことを伝えているようだった。小高い岩場を登ると、紺碧の海と青い空が目に美しい。かの坂本龍馬は生前、土佐の中でもこの場所をとりわけ気に入っていたと言われているが、それも十分に頷ける絶景が目の前に広がっていた。


さて、今日の旅の最終目的地は、高知市の中心部にあるひろめ市場である。この市場には海の幸を売る店、居酒屋、みやげ物屋などが所狭しとひしめいていて、とても活気がある。ただそこにいるだけで楽しくなるようなスポットだ。市場の中央にはフードコートのような机と椅子が並んだ広いスペースがあり、地元の人たちが酒を飲みながら料理に舌鼓を打っている。そこでは見ず知らずの他人同士が相席になり、いつの間にか会話が弾むなどということもあるらしい。ひろめ市場はさながら、高知市民の心の拠り所とも言える場所なのかもしれない。


ただ、問題はその混み具合である。ひろめ市場に到着したのは午後5時ぐらいだったが、すでにそこかしこで宴会が始まっていた。私たちの席はどこにも用意されていなかった。結局私たちはひろめ市場での飲食を諦め、外にある別の店で夕食を取ることにした。


ここで食べたカツオのたたきは絶品という他なかった。正直に言って、カツオがここまで肉厚な魚だとは知らなかった。関東のスーパーで売られているものとはまったくレベルが違いすぎて、同じ種類の魚とはにわかに信じがたいほどだ。そのカツオを、スライスした玉ねぎやニンニクと一緒に食べると、これ以上の幸せはないように思えてくるのだった。


この旅に彩を加えてくれたのが大学時代の友人であることは疑いようがない。彼とは道すがら、クルマの中でいろいろな話をした。最近のことやゼミ時代のこと、話のタネは尽きなかった。彼がいなければ、私は四国でうどんを食べるだけだった。祖谷渓や桂浜に足を運ぶことはなかっただろう。そんなことを考えながらふと空を見上げると、星が瞬いていた。そういえば、長い長いヒッチハイクの末に京都にたどり着いた時にも、星が私たちを称えるように光っていた。旅はまだ終わらない。次の朝になれば、見たことのない景色が私たちを待っていることだろう。



<つづく>

Mr.Childrenで好きな曲10選

誰がなんと言おうと人生で一番聴いたバンドはECHOESである。しかしそれでは話があまりにニッチすぎて誰もこのブログを読もうとはしないだろう。というわけで、人生で二番目に聴き倒したMr.Childrenというバンドの楽曲トップ10を決めようと思う。なお、Mr.Childrenにしてみたところで読者が増えるかと言われれば自信はないし、言うまでもなくそれはMr.Children4人のせいではない。


10 Another Mind

3rdアルバムの一曲目を飾る曲。Mr.Children4thアルバムの「Atomic heart」でブレイクするから、これはブレイク前夜の楽曲ということになる。曲調も歌詞も暗すぎて次の曲の「メインストリートに行こう」が実質的な一曲目と言われてしまう、不遇な曲である。とにかく悩みまくっている主人公の歌で、間奏での桜井の叫びが内に溜まった何かを吐き出しているようで印象的。のちの「ALIVE」につながるようなイメージだ。


初出アルバムは「Versus」(1993


9 未完

人生で二番目に聴いたバンドとか言っておきながら、私は「REFRECTION」の"Drip"、つまり収録曲が少なくて廉い方を買った。その"Drip"CDプレーヤーに入れて最初に聴いたこの曲に度肝を抜かれた。桜井の伸びやかな声にロックなメロディ。Mr.Childrenはついに原点を思い出した!と歓喜した。が、次作で再び忘れてしまったようだ。


初出アルバムは「REFRECTION」(2015


8 光の射す方へ

重く厚いギターサウンドが当時の日本の閉塞感を醸し出している。歌詞も掴みどころがなく、というか完全に意味不明。活動休止を経て、この頃のMr.Childrenはロックしていた。光の射す方へなんてタイトルをつけておきながらまったく光が見えず地面をのたうち回っている男の姿が見えるようだ。


初出アルバムは「DISCOVERY」(1999


7 CENTER OF UNIVERSE

始まりは比較的スローテンポで穏やか。だが、1番を歌い終わるとこの曲は一気に加速し、激しさを増す。「竜頭蛇尾」という言葉があるが、この曲を四字熟語で表すとすれば「蛇頭竜尾」だ。このメリハリが素晴らしい。"ブランド志向学歴社会離婚問題芸能界でも本当に価値あるものとは一体何だ?"この歌詞の詰め込み具合がたまらん。間違いなく一般ウケはしない。Mr.Childrenのキャリアで最もとっつきにくいとされるアルバム「Q」の踏み絵的楽曲だ。


初出アルバムは「Q」(2000


6 Image

日曜日の午後に昼寝をしすぎたあなたにこの曲を。「DISCOVERY」の最後を飾るこの曲は、ラストに向けての転調がミソ。それまで平穏に生きてきた主人公がいきなり社会の生存競争に巻き込まれていくかのように激しい曲調になる。メロディラインがとにかく美しい名曲だ。


初出アルバムは「DISCOVERY」(1999


5 少年

ポップなMr.Childrenの集大成ともいえる「SUPERMARKET FANTASY」の中でこの曲だけが異彩を放っている。青春を思わせるような疾走感のあるロックチューンに仕上がっている。NHKドラマ「バッテリー」とのタイアップもうまくハマっていた。"瞼の内側で君を抱きしめると心臓の鼓動が僕に襲いかかってくる"なんて詞も天才的すぎる。


初出アルバムは「SUPERMARKET FANTASY」(2008


4 Worlds End

個人的な思い出を一つ。リアルタイムではじめて聴いたアルバムの1曲目がこれだった。このアルバムをひっさげてMr.Children5大ドームツアーを開催した。東京ドームで聴いた「Worlds End」に当時小4の自分は度肝を抜かれた。DVDが出ると親にせがんで即買いし、ライブの感動をリビングに再現しようとテレビで爆音で聴いて隣の住人に警察に通報されたりもした。ずっと好きな曲だ。


初出アルバムは「I♡U」(2005


3 蘇生

2011年にフジテレビで放送されたドラマ「カエルの王女さま」で天海祐希らがこの曲を歌っていた。聴いているとどこからか本当に勇気がわいてくる。特にCメロは圧巻。"叶いもしない夢を見るのはもうやめにすることにしたんだから今度はこの冴えない現実を夢みたいに塗り替えればいいさ"こんな歌詞が書けたらもう他に何もいらない。


初出アルバムは「It's a wonderful world」(2002


2 Everything(it's you)

とにかくこの曲は間奏のギターソロに尽きる。当時メンバーがハードロックにハマっていたこともあり、仮タイトルは「エアロ」。歌詞に描かれているのは苦悩、苦悩、苦悩。この頃の楽曲を聴いていると、桜井が自殺すら考えたという話が腑に落ちる。生と死の狭間で奏でられるエッジーな楽曲は今も自分の心を魅了してやまない。


初出アルバムは「BOLERO」(1997


1 Prelude

Mr.Childrenの全楽曲の中のベストオブベストはこれ。散々批判されたコバタケのストリングスが、この曲のイントロには壮大なイメージを生み出している。歌詞も名フレーズのオンパレードで挙げればキリがないが、中でも"信じていれば夢は叶うだなんて口が裂けても言えないだけど信じてなければなし得ないことがきっとどっかで僕等の訪れを待っている"というパート。曲は7分もあるのだが、メロディはめくるめく展開していき、とにかく飽きさせない。ボーカル、ドラム、ギター、ベース、ピアノ、ストリングスが極上の調和を見せる名曲だ。


初出アルバムは「SENSE」(2010

今度は少し長いお別れになるかも知れない


今日は久しぶりに湯船につかった。仕事の関係上、最近はほとんどホテル住まいだから、いつもはシャワーを浴びるだけで済ませるのだけれど、今日ばかりは湯に身体を預けたかった。しかも、とびきり熱い湯に。湯がたまるのを待つ間、いろいろなことが頭を駆け巡った。年が明けてからというもの、悲しい報せが多く届いている。それを聞いて涙を流すことはないし、叫び、喚くこともない。だが心には穴があき、その穴を目がけて風が吹き抜ける。しまいには自分がその穴からどろりと溶け出してしまうような感覚さえある。


服を脱ぎ、バスタブに収まった私は45℃の湯の中に埋まるように顔まで漬かり、しばらく動かなかった。息はできないが不思議と苦しくはなかった。ふと、ある歌の一節が、桜の花びらがはらりと風に舞うように脳裏に浮かんで消えた。その昔、嫌なことがあるといつも思い出していた曲だった。


"プリーズプリーズ目を閉じて 忘れてしまいなよ

そんな現実は ピーナッツバターの海に沈めて"

君と会えたことが過ぎた季節の意味

   私は孝行息子なので、1ヶ月に1回ぐらいは実家に帰って親や兄弟に顔を見せる。寝るのはかつて私が使っていた部屋で、今は弟がその部屋の主になっている。6畳の部屋に布団を2枚敷いて、電気を消して、弟といろいろな話をするのが、私の密かな楽しみだ。


   彼は、友達が少ないと嘆いていた。

「お兄ちゃんには友達が大勢いていいよね。中学の時にさんざんバカな話をした友達、高校の時にいつも弁当を食べてた友達、大学の時に一緒に映画を見ていた友達、ゼミの友達って。いっぱいいるじゃん。」

「兄ちゃんより友達が多いやつなんて、この世にはゴマンといるだろうけどね。うん、みんないい友達だよ。」

「いいよなあ。おれは、そういうのいなくてさ。友達が少ないんだ。」

「それは、ある程度当たり前のことなんだよ。人ってのは成長するんだから。その過程で付き合う人が変わるってのは自然なことなんだよ。それなのに、友達が少ないなんて言ったら、そんなの、その友達に失礼だよ。」

「そういうもんかなあ。」

「そうだよ。だけど、成長していく中で、それでも未だに下ネタ言い合ったり、昔話に花が咲いたり、がんばってる姿に刺激をもらえたり。そういうのが友達なんじゃないかな。」

………。」

「友達が少ないって思うより、今いる友達を大切にしようって考えた方がよっぽどいいよ。」

………。」

「一番やって欲しくないのは、友達がほしいからって自分を偽ることだな。偽ってる自分には、偽ってる友達しか寄ってこないし、そういう友達は続かないじゃん。」

「………。」

   なんだ、もう寝てるのか。せっかく人生の先輩としてありがたいアドバイスを送ってやったのに。それにしても、今夜はぐっすり眠れそうだ。起きたら、久しぶりに卒業写真でも開いて、あの頃の友達に会いに行こうかな。

大渋滞のせいじゃないこんなヒドい頭痛

  「社会にはいろいろな人がいるよ」と親に言われて育ってきた。私が最近、それを強く実感するのは車を運転している時だ。例えば交差点での右折。道路の右側ギリギリに車体を置き、少しでも後続のドライバーを直進させようとする人もいれば、何も考えずに後方で渋滞を作り出している人もいる。運転というのは思いやりごっこなのだ。そういう視点で路上を走っていると、なるほど、社会にはいろいろな人がいる。

   先週、紅葉を見に行きたいという友人の誘いで、私は横浜から日光へと車を走らせた。その道中で私を呆れさせたのは、週末ドライバー(と思われる)の、走行マナーの悪さである。スペースがないにも関わらず、隣の車線から無理に車をねじ込んでくるドライバー。そんな車に限って「ドライブレコーダー録画中」のステッカーが後方に貼り付けてある。ドライブレコーダーで録画してほしいのは後ろから煽る車ではなく貴方の走行マナーですよと言いたかったが、そんな声は車外に届くはずもない。

   事故の多さにもまったく閉口した。それもそのはず、渋滞の列の中で執拗に車線変更をするドライバーが多すぎるのだ。今回のドライブで、私たちは3つの事故渋滞(東北道下り浦和インター付近、いろは坂手前、東北道上り栃木インター付近)にはまったが、東北道2つの事故は、いずれも非常に近い距離で別の事故が起こっていた。これの意味するところはこうだ。まず1件目の事故が起こって渋滞が発生する。その渋滞の中で矢鱈と車線を変更するドライバーによって、2件目の事故が誘発されるのだ。渋滞の中ではただでさえ車間が詰まっている。事故車を避けるための車線変更なら仕方がないとも思えるが、隣のレーンが空いているからなどという、独りよがりで、思いやりの欠片もないドライバーによって事故が引き起こされているのだ。こんなに腹の立つことはない。

   帰りの栃木インター付近での渋滞の中で、あっちへこっちへ車線変更をしていた車を佐野サービスエリアで発見したが、後席から子どもが出てきたのには本当に驚いた。どこの世界に、大事な家族の命を危険にさらす父親がいるだろうか。自分がどれだけ身勝手な行為をしているかをこの父親が理解することはないのだろう。奥様あたりが、次は電車で出かけましょうと提案してくれることを切に願う。

   いよいよ11月に入った。秋の夕暮れはなぜか事故が多くなるらしい。いつも以上に注意してハンドルを握ることが求められている。

2019年、秋晴れの鈴鹿サーキットにて

   かつてこんな冗談を聞いたことがある。

「レースが好きなら、サーキットには行くな。」

   野球やサッカーやラグビーを見るのとは違って、サーキットの観戦席からは「レース」を把握することはできない。サーキットは大きすぎるし、レーシングカーは速すぎて、目の前を通り過ぎるのは一瞬だ。私の席から見えるのは、2コーナーを立ち上がってきたマシンがS字を駆け抜け、逆バンクへと消えていくまでのほんの10秒ほどである。190秒の10%強。そんなもののために、安くはないチケット代を払って、強い日差し、はたまた雨風に耐えながら見るのがレースなのだ。レースの全体像を捉えるのならば、テレビ観戦の方がよほど向いている。おまけに今年は台風19号の影響で、土曜日のセッションがすべてキャンセルとなった。私は金曜日に有給休暇が取れるほどホワイトな企業に勤めていないので、F1マシンを見る機会に恵まれたのは日曜日の予選と決勝のみとなってしまった。たった1日の走行のために、交通費やチケット代を支払い、人ごみに耐えながら観戦するのだ。こんなに馬鹿馬鹿しい話はない。

   それでも、陳腐な表現で恐縮だが、ナマで見ないと分からないことというのも、確かにある。観戦席に腰を下ろして最初に驚いたのは、フェルスタッペンとルクレール、若武者たちのマシンの走らせ方だ。レッドブルフェラーリを駆る2人の21歳はS字の縁石を大胆にまたぎ、目の前を通過していく。対してメルセデス2台はスーパースムーズ。何周走っても、百発百中で同じラインに乗せられるかのような正確さである。チームメイト間で最も差があったのはレーシングポイントである。エースドライバーのペレスはS字から逆バンクへのラインを大きく取っているのに対し、ストロールはやや縮こまった走りに見えた。圧倒的にスピードが足りないのはルノー2台。去年まで緩慢な動きをしていたマクラーレンの動きが思いのほかクイックで感心していると、フェラーリセバスチャン・ベッテルが眼を見張るような速さで走り抜けていった。まるでドライバーがイタリアの跳ね馬を手なずけ、進みたがっている方向に、進みたがっている速度で走らせているようにさえ映る。事実、今年の鈴鹿サーキットを最も速く駆け抜けたのは彼だった。こうした細かいいちいちが、観客席にいると見える、ように思える。テレビでは見えないものが現地では見えるということとはまた少し違う。そうではなくて、全体を捨て視野を狭めてようやく部分の解像度が上がるといえばいいのか。「すべて」を代償に、眼前のことだけを知る。私にとってそうできるのは観客席だけで、だからそこに座ってみる。それを、やめられない。

   レースは、1周目の2コーナーでフェルスタッペンが他車に押し出されてコースアウトし、どこか不完全燃焼なレースとなった。私はどこかのチームに肩入れするたちではないが、彼がいないレースはいささか迫力に欠けるものがあった。そのフェルスタッペンをレース序盤に追い回していたのは奇しくも同じ21歳、度胸満点でS字を攻めていたルクレールであった。何があったのかは分からないが(展開が分からないのが観客席だから)彼もグリットポジションからは大きく順位を落とし、後方でのバトルを余儀なくされていた。

   レース終盤。もうすっかり陽は西に傾き、レース前までホンダジェットが飛んでいた空に、心なしか寂しさが漂っている。トップを行くのはシルバーアローのボッタス。午前中にスーパーラップを見せたベッテルは、急激に差を詰めてきたもう1台のメルセデス、ハミルトンに対し防戦一方だ。ふと1コーナーのほうを望むと、A席の先に日本の地方都市らしい鈴鹿の街並みと、伊勢湾の深い青が覗く。水平線はなく、海向こうに遥か知多半島の低山の稜線が立ち上がっている。方角的にはちょうど中部国際空港があるはずだけど、それを窺わせるものは認められない。見えるものと見えないものは場所によって変わる。コースに意識を戻す。2コーナーからS字、逆バンクへと、色とりどりのF1マシンが走り抜ける。ここではレースのことは1割しかわからない。順位の把握だって無茶苦茶だ。でも、昨日の荒れ狂った空模様が嘘のような晴れ空の下、素早く左右に向きを変えて加速していくマシンを見ていると、ふと何かがわかっているように思える。私がいるのはそういう場所だ。

   冒頭の冗談に、私ならこのフレーズを付け足す。

「レースが好きなら、サーキットには行くな。しかし、本当にレースが好きなら、サーキットに行け。」