日本語表現Bを落とした私が、佳作論文を受賞した話
⭐️はじめに
今になって私のメモ帳から、こんなしょうもない文章が発掘されました。書いた日付は2018年5月26日とあります。その頃の私はよっぽどヒマだったと見えます。そしてほぼ一年熟成されたこの文章は、酒に酔った勢いでついに日の目を見ることになりました。皆様におかれましてはご多忙かと存じますが、最後まで読んでいただければこんなに幸せなことはありません。
この話は、私の卒業論文(以下、卒論)が、学部のコンテストで佳作を受賞するまでの密着レポートです。
卒論のテーマは、「首座都市における交通機関の再構築」。
なんだかよくわからん内容です。これを書いてるのは卒業してからほぼ2ヶ月経った頃なんですが、すでに内容を忘れかけています。
ざっくり説明すると、発展途上国では人口が増えるにしたがって、1つの都市に人口が集中する傾向があるんですね。そこにはモノや人や財やらが集まってくる。だけど、そうした活動を支えるインフラの開発は進んでいないと。その結果、都市はキャパオーバーになってしまい、渋滞とか大気汚染とかが深刻になっている。これをなんとかしないといけないんですけど、それには公共交通機関の建設とインフォーマルな交通機関(たとえば、途上国に行くとよく走ってるバイクタクシーみたいなやつ)を組み合わせるのが有効です!っていうことを論じた文になってます(長い)。
⭐️どうして卒論を書こうと思ってしまったんだろう
それが義務だったから。以上!
と言ってしまうとブログがここで終わることになるので少し詳しく書きます。
そもそも、私のゼミでは、4年生になったら卒論を書くことが必須になっていました。書けなかった学生には基本的には単位を与えないというのが担当の先生の方針でもありました。私の学部では卒論が必修ではないのに、なんというブラックなゼミでしょうか。
というわけで4年生になった4月から、テーマの策定と執筆に取り組みました。といっても、普段のゼミの活動にプラスして就活まで抱えていた私たちゼミ生にそんなことをする余力は残っていませんでした。
それが最悪の形で現れたのは風薫る5月のこと。今だから書きますが、最終面接までこぎつけたある企業の面接で、卒論の内容を聞かれたことがありました。ですが、内容はおろか題材すらも決まっていなかった私はしどろもどろ。これが決め手となって最終面接で不合格に。最終面接なんてよくある意思確認だと思ってタカをくくっていたのが裏目に出ました。卒論なんて大きらいだ!
そんな就活にもなんとか片がつき、時は流れて8月。われわれのゼミでは、毎年夏休みにフィリピンの農村部を訪れてフィールドワークをする「フィリピン実習」なるものがあります。しかし、2017年のフィリピンは荒れ模様。イスラム国に近い組織が暗躍し、治安の悪化が懸念されていました。こうした状況も一因となったのでしょうか、実習に不参加を表明するゼミ生が多くいました。私も嫁入り前の大事な身体を危険に晒してまで、フィリピンに行くのが正しいのかどうか、大いに迷いました。しかし、ある日突然、素晴らしいアイデアが天から降ってきたのです。大物アーティストのセリフみたいですが。
「フィリピン実習に行けば、卒論やらなくていいんじゃねーの?」
これです。フィリピンで自分のやるべきことをまっとうして(実際に、参加人数が少ないのでやることは山ほどあった)夏休み明けからは余生を楽しむ老人のごとくテキトーにゼミをやろう。単位はいらないや。そんな怠け心から私は定年退職前の最後の仕事とばかり、フィリピン実習に参加しました。
果たしてフィリピンから帰国した私は(この実習はとってもおもしろかったのでその話はまた別の機会に)、卒論には目もくれず、すぐにアメリカに出国しました。もちろん、学生生活最後の夏休みを思いっきり遊ぶためです。
でも、、、
怒られるのが怖かったんです。
卒論の第1稿の提出期限は夏休み明け。そこで何かしら書いて出さないと先生に怒られる。怒られるのは怖い。いやだ。そう考えて、アメリカから帰国したあとにそれらしきものを拵えてゼミに向かいました。
ここで最初の問いを思い出してみましょう。
そもそもなぜ卒論を書こうと思ったのか?
→怒られるのが怖いから。
以上です。
⭐️一筋の希望の光
という感じで始めた卒論でしたが、当然右も左もわからないずぶの素人にいきなり論文が書けるはずもありません。締め切り前になると恐怖で心臓はバクバク、手足は震え、ご飯は喉を通らなくなる。卒論に殺されるんじゃないかと思ってました。そんな悩む私に手を差し伸べてくれたのは、同じ学部のアンジェラアキ似の専任講師の先生。2年生の時にたまたま半期だけ授業を取っていた私を先生はよく覚えてくださっていました。そして、紹介していただいた本が
「NHKブックス 論文の教室」
これがまあおもしろい。会話仕立てで読みやすい構成にしながらも、論文を書くポイントをしっかり押さえてる。この後に読んだどんな文献よりも、この本は役に立ちました。
これが、卒論にもがき苦しむ私のバイブルになりました。でもまだまだピンチは続きます。
⭐️手も足も出ないような悩みに縛られる
・文献が少ない
都市の交通にスポットを当てた文献は少なすぎて、図書館にも片手の指で数えきれるほどしかありませんでした。おまけに私の場合、どこかに似たようなテーマを研究する強力なライバルがいたようで、この本を借りればあの本が借りられ、この本を返すとすぐさま借りられ…ってのをずーっと繰り返してました。あれは誰だったんだろう。今なら友達になれそうな気がします。
・英語文献はやたら多い
英語文献も当たってみてね?みたいなことを担当の先生に言われた私はGoogleで"Urban Transportation"などと検索し、出た論文を読むなんてことをひたすらやってました。ところが、当然英語なので書いてある内容が全くわからん。Google翻訳にぶち込んで日本語に直してもいまいちわからん。結局、図とグラフだけしかまともに使えませんでした。英語大事。
・普段の生活が卒論に染まる
チャンピオン争いをしていると日常のすべてが緊張に変わると言ったのは、かの有名なレーサーであるミハエル・シューマッハでしたが、私もその状態に陥りました。当時、私のズボンのポケットには常にメモ帳が入ってました。なぜかというと、歩いてるときとかに突然空から降ってきたアイデアをすぐ書き留められるようにするためです。間違いなく病んでますね。そのメモは卒論を書き終えた後、速攻で大学のゴミ箱に捨てました。今では灰になって中国かどこかに埋め立てられているはずです。ちなみに、これまた有名な作家の村上春樹氏は、自分の書斎を出ると小説のことは一切考えないでいられるらしいです。うらやましいな。
・先生の言ってることが毎回変わる
これこそが最大の問題でした。2週間ごとぐらいに担当の先生に卒論を提出→添削してもらう→それを基に書き直す→提出という作業をしていたんですけど、これがクセもの。2週間前にそう書けって言ったから書いたんですけど、ダメですかね?この言葉を何度飲み込んだことか。まあ、そこがかわいいんですけどね。
⭐️そして、佳作受賞!
それでもなんとか書き上げて、期日までに卒論を提出することができました。締め切り当日の朝まで大学近くのネカフェで執筆し、学部のサイトの提出フォームに卒論を送ったときに思わず「やったー!」と叫んでしまい周りの人の迷惑になったのはいい思い出です。
そして。2月の寒い寒いある日。
私のもとに大学から一通の手紙が届きました。
佳作受賞!賞金5万円!
夢かと思ってほっぺつねったら痛かった。
とさだまさしは歌いましたが、まさにそれです。たかが佳作と笑うなかれ。6334の学生生活で一度も賞を取ったことのなかった私にとって、これは快挙以外の何物でもありません。
最後に。1年生のときに日本語表現B(短い文章を書く授業)を落とすほど日本語の苦しい私に素晴らしい本を紹介してくれたアンジェラアキ先生、忙しい合間を縫って私の質問にTwitterで答えてくれたケニア大学の教授、そのケニアで活動し、現地の写真を数多く送ってくれたNGO職員の方、一緒になって卒論を添削してくれたゼミ生、息抜きにとライブに誘ってくれた友達、毎晩遅くまで起きてるのを黙って見守ってくれた家族、いつも応援してくれたバイト先のみんな、そして何度も何度もフィードバックを返してくれた担当の先生に心から感謝しています。Love ya!
追伸
5万円は卒業旅行で使い切ってしまいました。感謝するだけでなにもあげられなくて、ごめんね!参考になった本を載せておくので、それで許して!
- 作者: 戸田山和久
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