さよなら2020年

ふりかえってみると、2020年は私にとってそれほど良い年ではなかったように思う。感染拡大前夜のすべり込みという感じで2月に四国を旅行できたのは素晴らしい体験だったが、そのあとは散々だった。


7月に久しぶりに実家へ帰ってみると、家族仲はものの見事に冷え切っていた。実は2月にもそれらしい予兆があったのだが、大丈夫だから、と口を揃える2人の言葉を信じていた。だから、その崩壊ぶりに私は愕然としてしまった。車で自宅へと帰る道すがら、「切ない」という言葉が浮かんできた。何が切ないのかはよく分からないのだが、どうしようもなく切なかった。自分がいろんなものを失くしてしまったような気がした。


自宅の玄関を開けると、私は自分がひどく孤独になったように感じた。自分が果たして何者なのか、分からなくなった。追い討ちをかけるように仕事でも普段の生活でも不愉快なことが続いた。それでずいぶんがっかりして、気持ちも冷え込んでしまった。置かれた状況に私はひどく混乱し、苛立っていた。苛立ちは連鎖的に次のトラブルを運んできた。やがて何をする気も起きなくなった。たまに電車に乗ってどこかへ出かけようとしても、途中で無気力に苛まれ、何もせず家へと引き返すなんてこともあった。忙しさを理由にして食事を摂らなくなった。そんな風にして自分を見棄てる作業を楽しんだ。仕事を片付けると、家に閉じこもってずっと本や論文を読んでいた。ひたすらページを繰って、目に入ってきた一文一文を貪るように読んだ。


11月にゼミの同期の2人と神保町で会った。そこで私は自分のことを少し話した。聞いて楽しい話ではないはずなのに、2人が嫌がることなく受け止めてくれたおかげで、気持ちの方はずいぶん楽になった。


でも私がひとりの人間として本当に回復する足掛かりを掴んだのは、12月にオンラインで先生と話してからだと思う。年の瀬という忙しい時期にも関わらず、先生は私のために時間を割いてくれた。普段は話す内容を事前に決めてから先生と向かい合うのだが、今回は自分の感じていたことをそのまま先生に向かって投げつけていた。私がひとしきり話した後、先生はつとめて明るく私に言葉をかけてくれた。言葉のひとつひとつに熱がこもっていた。そしてその熱は私の身体を底から温めてくれた。深夜まで続いた会話が終わったとき、私は残りわずかとなった2020年をなんとか乗り切れそうな気がしていた。


子どもの頃から、人々が11日をなぜこれほどまでに重要視するのかが分からなかった。父親が初日の出を見に行くぞと毎年けしかけるのが、私には理解不能だった。1231日の朝陽と、11日の朝陽とでは何が違うというのだろう?


しかし、今年はこの11日を有効に使おうと思う。私はそろそろ態勢を立て直さなければならない。その立て直しを、202111日から始めることにする。



ちなみに今年の漢字は「顧」

今年の音楽は井上陽水-人生が二度あれば

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