恋の滓がまだ残っている

   みなさんの中に、いけない恋をしてしまった経験のある人はいるだろうか?たとえば、彼氏のいる女の子を好きになっちゃったとか、妻子ある男の人を好きになってしまったとか。

   高校生の頃に、先輩の彼女を好きになっちゃったりとかして。それで、先輩から締め上げられる。そんな青春を送りたかった。

   残念ながら僕のはいわゆる黒い青春だったが、僕だって人間だから、人を好きになったりぐらいはした。それも、どういうわけか、やたらと先生を好きになってしまうのである。学生と先生との恋。使い古され、手垢にまみれたパターンではあろう。しかし、なぜか何度もその罠にハマってしまうのである。断っておくが僕は決してリスクを好む性格ではない。目の前に石橋があったら、叩くどころか、自分より体重の重い人を先に渡らせて、確実に安全だと分かってから渡るタイプだ。


   これはあくまで僕の意見なのだが、ひとくちに好きといっても、その気持ちは2つに分けることができると思う。1つは、その人を慕っているという気持ち。これはむしろ憧れに近いような感覚だ。僕が高校時代に経験した恋はこのパターン。相手は、国語の先生だった。

   今でこそ文章を書くのが好きになったけど、高校に入るまでの僕はそういうのが大の苦手だった。どこの小学校でも、夏休みの日記や読書感想文はたいてい、9月の最初の授業で提出すると思う。だけど僕はそれを10月ぐらいまで出さないでおく。そうすると、その頃には担任の先生もだいたい忘れている。そんなことを何年も繰り返していた。

   高校の国語の先生に話を戻すと、彼女は自分の授業で、生徒に文章を書かせることを好んだ。それも、なんの脈絡もないテーマで。AIBOの商品プロモーション用の文章を書けだとか、においについて書けだとか。そんな課題が、唐突に降ってくる。しかも授業中に書いて提出させるので逃げ道がないのだ。

   だけど先生は、僕がひいこら言いながら書いた文章を面白がって読んでくれた。それで、よく添削してくれたりもした。やっぱり先生に褒められるってけっこううれしいものだ。それで僕は、文章を書くことに目覚めてしまったのである。

   そしてこの先生は、生徒に文章を書かせるのと同じぐらい、自分のエッセイを生徒に読ませるのが好きだった。このエッセイが毎回すごく面白くて、僕は毎回感激していた。言葉のチョイスや余韻の残し方、すべてが完璧だった。今でも配られたエッセイは全部とってある。それで、たまに見返して幸せな気分になる。これが僕の高校時代の恋である。しかし、これは恋というよりむしろ一般的には憧れと呼ばれるものだろう。いつか、先生みたいな文章を書きたくて、僕はちまちまとこんな活動をしてるのかもしれない。


   もう1つは、言ってしまえば、恋に落ちてしまうってやつだ。前の話と対比させると、あるいは恋愛感情と言い換えてもいいかも知れないし、恋と聞いて大多数の人がイメージするのもおそらくこちらだろう。僕にとってのそれは、大学2年のときにやってきた。当時の僕は、大学に絶望しきっていた。面白い授業はない。人と関わるとものすごく疲れた。何も起こらないまま大学の4年間が静かに、そしてムダに過ぎ去っていこうとしていた。

   そんなとき、たまたま春学期に取っていた英語の授業で僕はその先生に出会った。先生はとにかく美人だった。見た目は40歳ぐらい。若くはなかったけど、舞台女優みたいにいつも背筋が伸びていて、立ち居振る舞いが上品だった。身につけているアクセサリーがすごく綺麗だったのを今でも覚えている。

   とはいえ、安易に自分の想いを伝えることが、幸福な結末をもたらさないことは、痛いほど了解していた。アカデミックハラスメントという言葉の意味ぐらいは、19歳の男でも理解できる。すなわち、先生と学生が交際して、それが発覚したら、(特に先生の方が)ただではすまないということだ。先生は、今まで苦労して築き上げてきたキャリアがある。それをめちゃめちゃに壊す権利なんて、誰にもない。

   離れることもできないが、近づくこともできない。さてどうしたものか。これは本当に恥ずかしいから限られた人にしか話していないのだが、僕は悩んだ末に、大学の学生相談室を訪れた。こういうのはどこの大学にでもあると思う。平たくいえば、学生が相談員(だいたい教授や講師の場合が多いが)に、大学生活の悩みを打ち明け、その解決を図ろうとするものである。

   僕の相談相手はこれまた40歳ぐらいの女性講師だった。秘密は守られるというので僕が事情を包み隠さず話すと、講師はかなり遠回しに、あなたはまだ未成年なんだからやめておきなさいというようなことを言ってきた。しかし、自分が未成年だからというしょうもない理由では、この恋を諦めることに能わないから僕はここに来てあなたと話をしているのであって、なんだ話の通じねえ奴だなと思いながら学生相談室を後にした記憶がある。今になって考えてみれば、未成年が自分の倍はあろうかという年齢の異性に恋をする方がよほど異常であることは疑いようもないのだが。

   なんとかして先生との接点を増やしたい。そう考えた僕は、授業の備品に目をつけた。それはカセットデッキである。CDの後に続いて音読するという英語の授業ではよく目にする光景。そのために先生はピンクのカセットデッキを持ってきていた。僕はそれを運ぶのを手伝うことにしたのだ。それを教室から教員の控え室まで持っていく時間が僕にはパラダイスだった。時間にすれば5分足らずだったが、僕らはいろいろなことを話した。英米文学を研究している、シンディー・ローパーが好きなど、先生に関する情報はどんどん増えていった。それがたまらなくうれしかった。これが恋というやつなのだ。

   ところが、大学の授業は半期で終わってしまう。つまり、4月から始まった先生の英語のクラスは、7月には終わってしまうのだ。ひとたび学期が終わってしまうと、先生と関わることは(ウソのように)なくなった。これを恋愛では自然消滅と言うのかなとも思ったが、僕の場合はそもそも恋愛関係が始まっていない。あったともなかったとも分からない。そんな感じで、僕の大学2年の恋は終わったのである。そして、3年生になってキャンパスが変わると、僕はもう先生に会うことはなくなった。

   と思っていたが、そういえば3年生になって一度だけ先生と廊下ですれ違ったことがあった。先生は初めてみた時と同じように、背筋をピンと伸ばして凛々しく歩いていた。手にはあのピンクのカセットデッキが握られていた。